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講師プロフィール

音楽とともに心豊かな時間を育めるよう、丁寧な指導を心がけています。

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講師
米田 千浩
よねだ ちひろ

◇モンテッソーリ式ピアノ指導法 認定講師

ピアノ指導歴33年。桐朋学園大学短期大学部芸術科音楽専攻、同研究科ピアノ専攻卒業。ヤマハ音楽教室システム講師として12年間、多い時で週に90人以上の生徒を受け持ち、延べ400人以上を指導。ヤマハピアノ演奏グレード5級、エレクトーン演奏グレード4級、指導者グレード4級を取得。


音楽教室を退任した後は音楽教室でのノウハウを活かし、自宅でピアノ教室を始め、3歳から大人の方までレッスンを担当する。

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現在も自身が生徒として、タッチや音楽表現法を海外の先生から学び、数々の受賞歴、演奏歴を持つ野谷恵氏に師事。具体的な体の使い方や楽曲分析を教わりながらより良い演奏法を学び続けている。

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レッスンでは生徒さんに向き合いながら一人一人の個性を大切にすることを心掛け、趣味のフルート、打楽器をレッスンに取り入れ、在籍生からは「レッスンが楽しい」、「子供の個性に合わせてレッスンしてくれる」「難しいところが弾きやすくなった」との言葉を頂いている。

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在籍生の中には「合唱コンクールの伴奏者に選ばれる」「ヤマハピアノ演奏グレード9・7・6級合格」「グレンツェンピアノコンクール東京本線出場、準優秀賞受賞」などの実績がある。

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様々な生演奏やアンサンブルの楽しさを子供達や地域の方々に伝たいとの願いから演奏サークル『音女団』のメンバーとして、幼稚園や保育園、高齢者施設などの演奏活動も行っており、ストリートピアノのあるお寺では「音女団 お寺でコンサート」を開く。開催は合計3回になり「聴いていて癒される」「色々な楽器の演奏が聴けて楽しい」など好評を博している。

長いプロフィール

父親の一言をきっかけにピアノを始める。レッスンをわざとすっぽかした?!子供時代。

幼稚園の頃、ある日父親から「〇〇ちゃん(私)は歌が上手だから音楽教室の先生が一緒にピアノをやろうと言ってるよ」と言われ、その気になって音楽教室のグループレッスンに通い始めたのが始まりでした。レッスンは友達と一緒に歌ったり弾いたりするのが楽しく、その後茶色いアップライトピアノを買ってもらいとても嬉しかったのを覚えています。
 

引っ越しを機に一度レッスンを離れたのですが小学校2年生の時、個人レッスンのピアノ教室に通い始めレッスンを再開しました。ですがその時の先生がとても厳しく、私が練習嫌いだったこともあり、レッスンでは練習していないこと、指の形が悪いことなど、毎回怒られてばかりで通うのが嫌でした。

 

一度はレッスン日に自転車で家を出てそのまま外で時間を潰して帰ってきたこともありました。それでも片手ずつから両手、と楽譜が少しづつ音楽になっていくのが嬉しく、発表会で演奏することも楽しくてピアノを辞めたいという気持ちはありませんでした。それでもピアノを辞めたいという気持ちはありませんでした。

 

その後別の教室に移りましたが、その後の先生が厳しすぎたこと、歩いていける場所に教室が見つかったこともありそちらの教室に移りました。練習嫌いは相変わらずで家では母親に怒られる日々でした。それでも先生は優しく、私が意欲を持ってピアノに取り組めるよう、ヤマハピアノグレードの受験の挑戦をさせてくださいました。特に受験科目の初見演奏は私の楽譜を読む力を上げてくれ、後に自分の生徒から「なんで先生は初めての楽譜をすぐ弾けるの?』と驚かれ、その生徒もグレードに挑戦するほどになりました。そんな私に母親は自宅で働くことが出来、長く続けられるとの理由から私にピアノ講師になることを勧め、自分もその頃から自分は音楽大学に行ってピアノ講師になるのだと漠然と考えるようになりました。

中学・高校時代 ピアノ科受験は出来なかったけれど・・・

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中学では吹奏楽部に所属、フルートを希望するも叶わず、コントラバスパートとなってしまい、フルートを吹く友人を横目に大きなコントラバスを抱え弓を動かす、悔しい3年間を過ごしました。それでも3年生の夏の大会では念願の県大会に進むことができ嬉しい思い出となりました。

 

中3の頃、音楽科のある高校への進学を勧められその学校のピアノ講師の先生に師事するようになりますが課題に出される曲が難しく、練習は楽しくなく、周りの上手な生徒さんを見ては劣等感を勝手に感じていました。でも母親から「あなたが今まで頑張ってきたから音楽高校の先生に習うことが出来ている。誰でも簡単に習えないよ」と励ましてくれたこと、やはり周りに追いつきたい、そんな気持ちで毎日練習を頑張るようになっていました。

 

結局高校は普通科を選択し、引き続き先生の指導を受けながら音楽大学音大を目指すことにしましたが、受験はピアノ科ではなく教育音楽科を受けるよう先生から勧められ、ショックでした。

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ですが新しく始めた声楽のレッスンでは先生から声楽だけでなく伴奏について、バランスや間の取り方、テンポ感など熱心にご指導いただきました。先生の門下の発表会や声楽のコンクールでの伴奏も経験し、ソロ演奏だけでなく、仲間と一緒にアンサンブル出来るピアノの魅力に改めて気づくことが出来た貴重な学びとなりました。

 

ピアノもこの頃には少しづつ上達し、好きな曲も増えもっと上手になりたいという気持ちも芽生えてきました。ピアノレッスンに加え、声楽、ソルフェージュと週3日レッスンに通う日々でしたが元気に通っていました。音大受験は世界的な指揮者の小澤征爾さん、チャイコフスキーコンクールで優勝したヴァイオリニストの諏訪内晶子さん、ピアニストの三舩優子さんなど著名な音楽家が学んだ桐朋学園大学の先生のレッスンが受けられる桐朋の先生のレッスンが受けられるということで桐朋学園短期大学音楽科を選択、無事合格しました。

演奏技術の未熟さに悩みながらもピアノの上達を目指した短大時代

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短大時代は親しい友人も出来、楽しかったのですが、自分の演奏技術の未熟さに悩んでいました。同級生達が様々な難曲を弾きこなしているのがとても羨ましかったのですが、刺激にもなりました。ですが手の小ささもコンプレックスで、1度は先生から「君の手はリストには向いていないね」と言われたこともありました。課題の曲がなかなか弾きこなせず、仕上がらないのに曲を変えられて悔しい思いもしました。それでも上手く弾けた曲を褒めていただき、もっとピアノが上手になりたいとの思いで、短大卒業後は桐朋学園短期大学部研究科ピアノ専攻への進学を志望し、試験に合格、ピアノレッスンを受け続けて行きました。

音楽教室講師を経て、自宅ピアノ教室開講へ

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研究科を卒業した後の進路は自分も幼い頃に楽しくレッスンに通った思い出があり、グループ指導のノウハウも学ぶことが出来るとの理由からかねてから、ヤマハ音楽教室のシステム講師として採用試験に合格、グループレッスンを担当しました。全く経験のないところから未就学の子供達を相手にグループレッスンをするのは想像以上に大変でしたが、子供達と一緒に歌ったり、子供達がエレクトーンでアンサンブルをして息の合った演奏をきかせてくれたり、音楽で一体感を味わえる楽しい経験でした。様々な研修ではレッスンの手法を学ぶことができ、助け合える同期の仲間にも恵まれ2歳から中学生まで、多い時で週に90人以上、延べ400名の生徒さんを指導、充実した日々を送ることができました。12年の在任中はヤマハピアノグレード5級、ヤマハエレクトーングレード4級、ヤマハ指導者グレード4級を取得しました。

 

結婚を機に音楽教室を退任し、自宅でピアノ・エレクトーン教室を開講。リトミックやコーチングレッスンなどの講座を受講したり、自宅で子供達相手のピアノ・エレクトーンのミニコンサートを開く、チラシを近所に配って歩くなど努力を続け少しづつ生徒さんの人数も増えて行きました。また、アンサンブルグループ Tutti (トゥッティ)のメンバーとして保育園やカフェ、特別支援学校など、様々な舞台で20回以上の演奏活動を行いました。

夫の海外赴任に伴いタイ、そしてインドネシアに移住。現地ではピアノに助けられる。そして新たな楽器への挑戦。

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そんな中、かねてより海外赴任を希望していた夫のタイ赴任が正式に決まりました。

 

今まで育ててきたピアノ教室を続けられなくなってしまうことは残念でしたが、貴重な経験だと思い、思い切って教室をたたみ、夫婦でタイに移り住みました。ですが海外での暮らしに当初はなかなか馴染めず引きこもりがちでした。そんな私を助けてくれたのがピアノでした。

 

その頃、現地で日本人の子供達にピアノを教えられる日本人は希少だった為、保護者からは喜ばれ、レッスン希望者が殺到、色々な方と繋がる事が出来ました。更に趣味として中学の頃吹奏楽で吹くことができなかったフルートを始め、地元の日本人主婦の音楽サークル「音女団(おとめだん)」ではフルートパート、そしてアレンジャーとして参加し、日本人会のイベント、病院、ショッピングモールなど数々の舞台で演奏を披露しました。とても楽しい日々でしたが、夫のインドネシアへの転勤が決まり後ろ髪引かれる思いでタイを後にします。

 

インドネシアでは言葉も風習も違い、知り合いもほとんどいない環境の中またゼロからのスタートとなりましたが、それでも日本人の子供達相手のピアノレッスンに加え女声コーラスの伴奏など、ピアノのお陰で活動の場を少しづつ広げていくことが出来ました。中でも在住日本人で結成された吹奏楽団(ジャカルタジャパン吹奏楽団)では念願のフルートパートとして入団、それだけではなく運営としてインドネシア人を相手に数々のステージのサポートも経験し、企画したアンサンブルのコンサートでは一人で20曲近い管楽器曲のピアノ伴奏を担当するなどピアノ演奏でもコンサートに貢献する事が出来ました。

 

タイ、インドネシアでの駐在生活ではピアノ、フルートを軸とした音楽活動を通じて素晴らしい仲間と知り合い、充実した日々を過ごすことができました。

全く初めての土地、それが海外であっても音楽のお陰で居場所を見つける事が出来る、改めて音楽の素晴らしさに気付かされるとともにピアノを続けていて本当に良かったと心の底から感謝した日々でした。

 帰国後地元の吹奏楽団に入るもパートは・・・新しい楽器との出会い

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7年に及ぶ海外生活を終え2019年春に日本に本帰国。日本でも吹奏楽をやりたくてすぐに地元の吹奏楽団を探し始めましたが、フルートはどこでも満員でした。そんな中、友人が勧めてくれたすずめの学校吹奏楽部はシニアの初心者の楽団ですが、指揮だけでなく各パートにも音大ご出身の先生方がついて指導してくださる手厚い楽団でした。でもやはりここでもフルートは募集されておらず、空きのあったパーカッションとして入団することに。

 

初めての経験でしたが、色々な打楽器をプロの先生が丁寧に奏法を指導してくださり奥が深く楽しくて、ピアノ教室でのリズムレッスンにもボンゴやカホンなどの打楽器を取り入れるようになりました。中でもドラムはピアノ伴奏にも通じバンドを引っ張っていく楽しさがあり、その魅力にのめり込みました。他の団員からも米田さんのドラムは吹きやすいとお褒めの言葉をいただきました。

海外で知り合った大切な仲間と日本でも演奏

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海外駐在中、一緒に演奏し、日本でも同じ市内だった仲間達と再会し、音女団日本支部として市内の幼稚園、高齢者施設、などで演奏。ストリートピアノのあるお寺の本堂をお借りして演奏する「音女団 お寺でコンサート」は3回開催され「聴いていて癒される」「色々な楽器の演奏が聴けて楽しい」などご好評をいただいています。

ピアノ教室を再開。生徒2人からのスタート。

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帰国後は知人からの依頼で自宅でのピアノレッスンを再開しました。当初生徒は2名だけでしたが少しづつ増え人気教室に成長。吹奏楽団でご指導いただいている打楽器をレッスンに取り入れ、生徒さんと向き合いながら一人一人の個性を大切に指導して行く中で、

・合唱コンクールの伴奏者に選ばれる

・ヤマハピアノ演奏グレード9級、7級、6級に合格、

・グレンツェンピアノコンクール東京本選で準優秀賞入賞

などの結果を出すことができました。

 

生徒さんからは

・とても楽しくて1時間あっという間。

・子供の個性に合わせてレッスンしてくれる。

・ピアノだけでなくボンゴやカホンなど他の楽器も演奏できて楽しい

 

などのお声をいただいています。

生徒実績

・合唱コンクールの伴奏者に選ばれる

・ヤマハピアノ演奏グレード9級、7級、6級に合格、

・グレンツェンピアノコンクール東京本選で準優秀賞入賞

©よねだピアノ教室

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